soroはいま、憲法学者、浦部法穂さんの「憲法の本」
(共栄書房)を読みはじめています。その「はしがき」には、いまの(「改憲」派の)国会議員たちの間での「改憲」論議は、自民党が掲げている「自民党・新憲法起草委員会」という名称にもはっきりと表現されているように、「憲法改正」ではなく、「新憲法制定」論であること。そしてこの点では、民主党の「改憲」論も同じであることが語られていました。
そしてまた、「新憲法」の制定は、通常「政治体制の根本的な変革が生じたときに行われる行為」であるのに、そのような政治体制の根本的な変革状況にはない日本で、(「改憲」派の)国会議員たちが、「新憲法」を制定しようと企てているということは、彼・彼女らが、「日本国憲法」の下での政治体制を根本的に変革することをたくらんでいるということなのだと鋭く指摘されていました。
しかも、それを、「日本国憲法」99条によって「日本国憲法を尊重し擁護する義務を」負っていて、「新憲法制定の発議権」のない国会議員たちが、「通常の憲法改正手続きで行おう」としているのであるから、(「改憲」派の)国会議員たちによる「改憲」は、「憲法上認められた権限外のこと」をしようとしているということ、それは「革命またはクーデターの企て以外のなにものでもない。」のだと、明解に述べられていました。
この「憲法の本」のページを捲りながら、アジア・太平洋戦争中の「少国民」で、(大江健三郎さんのように)敗戦後、一時的には「遅れてきた青年」でもあったsoroは、新制中学校で「新しい憲法のはなし」を読んだときのような、おおきな感激を、味わいました。v(^^)v
ところがいま、憲法を尊重し擁護しなければならない安倍内閣総理大臣が、戦後レジームからの脱却と、そのための「改憲」を唱え、憲法学者で東大教授の長谷部恭男さんまでもが、 「…自衛のための実力を備えないで国民の生命・財産を守ろうというのは非現実的…」と語るような時代になってしまいました。
soroはいま、「新しい憲法のはなし」の中のp.20に記されていた、
「よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分のいいぶんをとおそうとしないことをきめたのです。おだやかにそうだんして、きまりをつけようというのです。なぜならは、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすはめになるからです。…」という言葉を思い起こしています。
soroはいま、「新しい憲法のはなし」に語られているような理想を、平和憲法に即して実現していかねばと、強く思っているところです。そして、浦部法穂さんの「憲法の本」(共栄書房)は、そんな(昔「少国民」の)soroに、力を与えてくれそうな本だなと思いはじめているところです。(^^)/~