先週の「週刊金曜日」(2007.№638 1/19)の筑紫哲也さんの「自我作古」(第421回)には「九九条の違反者たち」というタイトルで、浅薄な憲法論議をしている政治家への批判が語られていました。
「憲法が権力を持つ者に対して『これをやらねばならぬ』『これをやってはいけない』と定める『国民の命令』だという基本的性格すら十分に理解されないままの妄論がまかり通ってきた。 この観点から言えば、憲法九条に負けず劣らず大事なのは第九九条なのだ。
『第九九条、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』 このなかに国民が入っていないのは、権力の行使を縛るのが憲法だから当然の話なのである」と。
soroはここまで読んだときに、昨年出版されたブックレットの「この日、集合」の中に載っていた永六輔さんの話を、突然思い出しました。それは昨年の8月14日のブログに載せたものですが、再度記しておきます。
「僕(永六輔)は『憲法九条を守る会』に入っていますが、第99条を守ればいいんです。第99条をちょっと読みます。『第99条、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』
守らなきゃいけないと書いてあるので、これを守れば憲法全文が守られる。つまり、この第99条を守らなきゃいけないんですが、現実は国務大臣が改憲云々と言っている。国会議員もそうです裁判官も憲法に反することをやっていたりする。公務員もまさにそうです」
soroもつねづね、永六輔さんが指摘されたようなことを考えていたので、永さんのこの発言を、とても心強い言葉として受け取りました。
この考え方を前提にすれば、「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」立場の政府と与党の(国会議員の)皆さんは、日本国憲法第96条にもとづく「国民投票法案」の提案も、軽々しくできないはずですし、日本国憲法の3原則といわれている ①(憲法前文「人類普遍の原理」としての)国民主権、②(憲法11条「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」、憲法97条「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」としての)基本的人権の尊重、③(憲法前文「人間相互の関係を支配する崇高な理想」としての)平和主義、を変えてしまうような提案はできないはずです」
ところで、2007年1月4日、安倍総理が、内閣総理大臣の立場で行った年頭記者会見で、
「今年は憲法が施行されて60年であります。憲法を、是非私の内閣として改正を目指していきたいということは、当然参議院の選挙においても訴えてまいりたいと考えております」 と語ったことも憲法第九九条の違反で、立憲主義の原則無視の発言といえるでしょう。
なぜこんな発言を安倍総理がしてしまうのかということにかかわって、「マガジン9条」のインタビューに答えて、慶応大学教授で、憲法学者で(なんと改憲派の論客といわれていた)小林節さんが語っていたことを思い出しました。
それは、小林さんが、かつて付きあっていた二世・三世の自民党国会議員や法制局の役人たちが、近代憲法というものは「国民が国家の権力を縛る」という立憲主義に立っていることをまったく理解していない(立憲主義を「知っていてわざと知らないふりをしている」のではなく「本当に知らないのだ」ということに気付き)、そのとき以来小林さんは、そんな議員たちに「憲法を変えさせてはいけない」と思うようになったのだという話です。
そうであるとすれば、政府与党が「国民投票法案」を2007年5月3日(憲法記念日)までに成立させようとしている状況の中で、政府与党や、民主党内の改憲派の政治家たちに、憲法第九九条に基づく憲法尊重擁護義務と、立憲主義の原則の遵守を強く要請していくことが、いまとても大事なことになっているのではなかと思った次第です。