今日(20日)の「信濃毎日新聞」の「社説」は。「安保をただす 司法の責任 違憲政治に目を光らせよ」というタイトルで次のように語っていました。
『「憲法違反、断固糾弾」。安全保障関連法が成立した昨日の朝も国会前では市民が抗議の声を上げた。
歴代の政権が憲法上認められないとしてきた集団的自衛権の行使が解禁される。「違憲」とする憲法学者らの指摘に政府、与党は最後まで耳を貸さなかった。
成立したからといって、黙り込むわけにはいかない。憲法に反した政治を行わせないために目を光らせていく必要がある。三権分立の下で立法、行政をチェックする司法の責任は重い。
<機能不全の立法府>
立法府の機能不全を見せつける成立だった。
参院本会議では問責決議案などの否決が繰り返された末、法案の採決に先立つ討論が各党15分以内に制限された。成立を急ぐ与党が提出した動議による。
特別委員会では締めくくり質疑を行わないまま与党が審議を打ち切っていた。「言論の府」である国会の自己否定ではないか。
集団的自衛権をめぐる憲法解釈は長年の国会論議、答弁の積み重ねで確立されたものだった。一内閣の判断で覆されたことに国会議員は与野党を問わず、正当性をただしてしかるべきなのに、そうならない。与党が唯々諾々と受け入れるのでは官邸の下請けだ。
国会議員は憲法を尊重し、擁護する義務を負っている。合憲であることを政府が合理的に説明できない法律を本来、追認していいはずがない。
安倍晋三首相をはじめ、政府の不誠実な答弁を許した。「国権の最高機関」には程遠い。
<法の支配が揺らぐ>
法律が憲法違反にならないよう従来、内閣法制局が歯止め役を果たしてきた。政府の憲法解釈を担う組織だ。集団的自衛権については「限定容認」の考え方を退けてきた経緯がある。
安倍首相は10年ほど前、必要最小限度の範囲に入る集団的自衛権の行使が考えられないかと国会で質問し、法制局長官に否定されている。武力行使は日本に対する攻撃が前提であり、その要件を満たさない集団的自衛権は行使できない―と明快だった。
宿願を果たすため、首相は法制局を無力化した。内閣法制次長が長官に昇任するという人事の慣例を破り、集団的自衛権の行使容認に前向きな外務省出身者を長官に据えたことによる。違憲と批判される法律が成立したことで法制局への信頼は傷ついた。
政府、与党が合憲性の根拠として持ち出したのは、砂川事件の最高裁判決だった。駐留米軍の合憲性が争われた事件だ。集団的自衛権は無関係にもかかわらず、国の存立を全うするため「必要な自衛のための措置を取り得る」とした部分をつまみ食いした。
さすがに見過ごせなかったのだろう。元最高裁長官の山口繁氏が取材に答えている。「集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底、考えられない。憲法で集団的自衛権、個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった」と否定した。
参院特別委の中央公聴会で元最高裁判事の浜田邦夫氏が述べた意見も重い。「法制局によって合憲性のチェックがほとんどなされていない。憲法改正手続きを経るべきものを閣議決定で変えることは法解釈の安定性に問題がある」と厳しく批判している。
政府が憲法解釈の変更によって実現できる範囲を超えているのは明らかだ。これがまかり通るのでは、憲法の規範性が失われる。憲法を軽視する政府の姿勢は首相がしばしば口にする「法の支配」に反している。
政権が代わり、元に戻される可能性もある。憲法解釈がむやみに変わるようでは、社会のルールの土台が揺らぐ。
<最高裁も問われる>
違憲訴訟の動きが既に始まっている。三重県松阪市の山中光茂市長は成立を前に、法律を公布するための閣議決定などの差し止めを求めて東京地裁に仮処分を申し立てるとともに提訴した。
法案を「違憲」と批判してきた小林節慶応大名誉教授は「平和に暮らす権利が侵害される」などとして国に賠償を求める訴訟を検討している。今後、各地で相次ぐ可能性がある。
砂川事件判決は「日米安保条約のような高度の政治性を有するものが違憲かどうかは一見、極めて明白に違憲無効と判断されない限り、司法審査になじまない」との判断を示したことでも知られている。最高裁がこれまで憲法判断を避けた例は少なくない。
法制局によるチェックが利いているうちは、それで済んだかもしれない。事情は変わった。政府の言いなりに解釈をゆがめる前例が作られた。
法律が合憲か違憲かを最終判断する「憲法の番人」として最高裁の役割が厳しく問われる。』