今日は昨日に比べて雲が多かったのですが、そよ風が爽やかに吹き、気持のいい日でした。私はいつもと同じように、東秩父村皆谷までの往復サイクリングをしました。前にも記したことがあるのですが、このコースは、往きの15.75kmが、きついヒルクライムの連続で、還りの15.75kmは、楽なダウンヒルの連続なのです。しかし最近は、大腿四頭筋とハムストリングスと下腿三頭筋などの筋力が(少し)ついてきたためか、往きの15.75kmも、楽にヒルクライムできるようになったのです。嬉しいことです。v(^^)v
さて、ここで話が変わります。今日(29日)の「しんぶん赤旗」のコラム「潮流」は、次のように語っていました。昔、「少国民」で、今、81歳の私も、まったく同じ思いです。
『私たちの未来のためにたたかう、と立ち上がる若者。わが子を戦場に送らせないと声を上げる母親。手をつないで平和の輪をつくる女性たち―。いま、全国で燃え盛る戦争法案反対の運動。それぞれが自分らしくアピールする姿が頼もしい▼「最後の力を出して戦争に反対する行動を起こしたい。国会前で抗議の座り込みをしてもいい」と、反対集会に駆けつけた93歳の瀬戸内寂聴さん。病み上がりの体に力を込め、二度と戦争をくり返してはならないと訴えました▼命の奪い合いにつながる法案を空理空論でこじつける。批判に耳をふさぎ、強引に傲慢(ごうまん)に突き進む政権。戦後70年間、ひたすら平和な世を望んできた戦争体験者の怒りや切迫感が伝わってきます▼今年、七巡り目の未(ひつじ)年を迎えた84歳の松野由(より)子さんもその一人。「独りデモ」と称して、25年前に教諭を退職した際に教え子たちが編んでくれた冊子『“戦争の子”のバトンを渡します』を増補改訂し、各方面にひろげています▼日本が中国侵略を開始した1931年に生まれた松野さんは、子どもの頃に皇国教育を徹底して教え込まれます。終戦の年には大阪大空襲に遭い、炎の中を逃げ惑いました▼自身の体験や戦後の教育現場で、いかに生きるかを問うた冊子は「若者と未来への恋歌」です。そこには「どんな老人になっても、戦争のことだけは忘れるまい。母親だから、教師だから、戦争を忘れてはいけない」と。老いの声量尽くして叫びつづける“戦争の子”の決意があります。』