今日の「しんぶん赤旗」のコラム「潮流」には次のような記事が載っていました。
『きょうは、第1次世界大戦のきっかけとなった、ボスニアのサラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件から100年目です。1カ月後に戦争が勃発しました▼イギリスでは戦争当初、兵隊募集のポスターが国中の掲示板にあふれました。陸軍大臣のキッチナーが人さし指を突き出し、「国は君を必要としている」とよびかけました。男性に向かって「女性は『征(い)け(Go)』と言う」と、母親を登場させてあおりました▼2年後には徴兵制が導入され670万人が兵士になり、多くの犠牲者を生みました。大英帝国の象徴の獅子を配したポスターをつくって、海外の自治領や植民地から300万人近く動員しました▼フランスでは840万人、ドイツでは1300万人が動員されました。アフリカの植民地からは、100万を超える住民がヨーロッパ戦線に兵士や労働力として送られました。この中には、開催中のサッカーW杯の参加国がいくつも含まれています▼ヨーロッパ諸国では当初、「祖国」のためにと志願した青年も多くいました。フランスの作家ロマン・ロランは早々に、「なんという浪費的な歓びをもって、彼らはその血潮を飢え渇いた大地にそそいでいることか」と嘆き、反戦をよびかけました▼第1次世界大戦は史上初めての「総力戦」といわれ、戦死者は1千万人にのぼりました。二つの大戦の惨劇をへて、教訓を最大限くみつくした知恵が、日本の憲法第9条です。一片の閣議決定で解釈が変えられるような軽いものではありません。』
私はこの記事を読みながら、第一次世界大戦勃発時「クリスマスまでには帰ってくるよ」と母親や恋人にいい残してバルカンの戦地に赴き、ついに不帰の人となってしまった若きドイツ兵たちの話を思い出しています。そしてまた「週刊金曜日」 944号の「話の特集」の中の、永六輔氏の「無名人語録」(368)に記されていた「戦争ができるようにしたがっている連中は、戦争に行かない連中だよ。行くのは若者だよ。生命を国に捧げるんじゃないよ、生命を国に奪われるんだよ。」という言葉を思い出しました。