5月1日の「しんぶん赤旗」の「文化・学問」欄には「憲法の焦点」として、名古屋大学教授の愛敬浩二氏(憲法学)の「96条は『過ち』を抑える工夫」というタイトルの記事が載っていました。
『4月26日、自民党は政調全体会議を開き、夏の参院選で96条改憲を公約の柱の一つとすることを決めた。現行96条は、両院の総議員の3分の2以上の賛成による改憲案の発議と国民投票による承認を求めているが、同党の「日本国憲法改正草案」は「3分の2」の要件を「過半数」に緩和すべしきとしている。
「2/3は厳格すぎ」誇張した言い分
96条改憲を正当化する論理はおおむね、次の二つである。(1)96条の改憲要件が厳格すぎるので、諸外国と異なり、日本では一度も改憲が実現していない (2)国民の過半数が改憲を望んでも、国会議員の3分の1強が反対すれば、改憲を発議できないのは、国民主権を軽視するものだ。しかしこれらの正当化論はかなりずさんなものである。
(1)についていえば、96条の改憲要件は確かに厳格なものであるが、「厳格すぎる」というのは誇張である。たとえばアメリカ合衆国憲法は、両院の3分の2以上による発議又は3分の2以上の州議会要請による憲法会議の修正と、4分の3以上の州議会又は4分の3以上の州における憲法会議による承認という、96条よりずっと厳格な要件を定めているが、20世紀以降だけでも11回の改正をしている。日本国憲法の下で一度も憲法改正が実現していないのは、改憲要件をクリアするだけの内容をもった改憲案を、改憲派の側が提案してこなかったからである。
硬性憲法の知恵 廃棄をもくろむ
(2)についていえば、近代立憲主義の系譜に属する憲法は、その正当性の淵源を国民主権に求めつつも、諸個人の自由・権利を保護するため、政府の権力を法的に抑制することを課題としてきた。近代立憲主義の根本精神は「権力への不信」である。この態度は、主権者である国民自身に対しても向けられている。すなわち国民自身も「過ち」を犯す可能性がある以上、「過ち」が起きる可能性をできるだけ低くする必要がある。硬性憲法(通常の法律よりも改正が困難な憲法のこと)はそのための工夫であり、知恵である。現在の96条改憲論は根拠薄弱な議論に訴えて、この工夫と知恵を廃棄しようともくろんでいる。
ときの多数派の恣意的政治防ぐ
両院議員の「過半数」と「国民投票」の「過半数」(最低投票率は設定されない)での憲法改正を認めることは、そのときそのときの多数派が自分たちの思い通りに政治を行うことを認めることである。このような選択が合理的といえるためには、▽国民の間に利害対立が存在しない(多数派と少数派の対立はない) ▽政治家が信頼できるので、彼らの行動を統制する必要性が乏しい、という二つの条件が必要不可欠である。
しかし、現在の日本において、この二つの条件が欠如していることは明白ではないか。閣僚や国会議員が多数で靖国神社に参拝して中国・韓国を挑発しておきながら、「靖国問題を外交問題にすべきではない」と平気でいえる人物が首相でいられるのが、現在の政治状況なのだから。