毎日新聞(9月3日 ウェブ版)には、福田康夫首相の突
然の退陣表明とかかわって、
「福田康夫首相の退陣表明から一夜明けた2日、首相の存在は忘れられたかのように総裁選への手続きが進んだ。首相はマスコミとは接触したくないと、記者団との『ぶら下がり取材』を拒否。心の動揺は隠し切れなかった。」と報じていました。
また同じ3日の毎日新聞には、すでに4月段階でこうなることを知っていた福田首相の後見人の森元首相自身が、福田首相が内閣改造(8月1日)を断行する半月ほど前の7月中旬に
「おれは福田さんの背中を押してやるだけだ。自前の内閣を作って、9月までしか持たないかもしれないが、そこまでは頑張ってほしい」と周辺に語っていたことも伝えていました。
森元首相は、福田氏から退陣表明の連絡を受けたのは1日午後7時半過ぎと語っていますが、福田首相の9月退陣は、先刻ご存知だったのでしょう。そして、次期首相選出のプログラムはかなり早い時期に出来上がっていたからこそ、「福田康夫首相の退陣表明から一夜明けた2日、首相の存在は忘れられたかのように総裁選への手続きが」進んでいるのでしょう。
ところで、soroの本棚の前に積んであった「週刊金曜日」のバックナンバー中から、2007年9月
28日号(№672)が、今日、偶然見つかりました。その号の表紙には「福田康夫は なぜ嫌われるのか」という文字が並んでいました。そして、それに対応する記事の最後の部分には、
(国民の利益という発想がなく、非常にブライドが高く、しかも執念深い)福田氏には「側近はほとんどいないが、あえていえば昨年(2006年)の総裁選て唯一福田氏を持ち上げようとした衛藤
従士郎氏と、福田氏の推挙で官房長官の後任となった細田博之氏だろう。
しかし、細田氏さえ昨年の総裁選で福田氏に立候補を薦めなかった。派閥の領袖でもなく、面倒見も良いわけではないにもかかわらず、現在たまたま福田氏に風が吹き、本人も想定外の『勝ち馬』に乗りたがる自民党議員らが彼に従っている。その風が吹き止んだ時、一体何人の同志が福田氏についていくのだろう。」と出ていました。
現在の福田氏は、まさに「その風が吹き止んだ」状況の中で、(去年、想定外の「勝ち馬」だった自分自身が)、いまは孤立無援の、まさに四面楚歌の状況の中にいることに気づき、(苦労知らずの2世来議員の彼は)、「首相なんか、もういやだよ」と、政権を投げ出してしまったのかもしれませんね。