今日(24日)の「東京新聞」の「試される憲法」には「国民の監視で軍事化防げ」というタイトルで、東大大学院教授、高橋哲哉さんの発言が載っていました。
高橋さんは、教育基本法改悪は「主権者である国民による子どものための教育」を「国家による国家のための教育」にしようとするものであること、そしてそのような考えのルーツは1953年の「池田勇人(自由党政務調査会長)・ロバートソン(米国務次官補)会談にあることが指摘され、それを防ぐには「国民の厳しい監視が必要なんです。政治家には、憲法に反することを口にしたときには、国民に不信任を突きつけられるという緊張感が必要なのです」と語られていました。
現役のころのsoroは、この(朝鮮戦争後の日本の再武装について日米首脳が語り合った)「池田・ロバートソン会談」の中の、日本の教育について確認された事項、
「会談当事者は、日本国民の防衛に対する責任を増大させるような日本の空気を助長(原文のママ)することが、最も重要であることに同意した。日本政府は、教育および広報によって、日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長(原文のママ)することに第一の責任をもつものである」ということと、このとき以降の日本の教育の反動化とが、まさしく、ぴったりとした対応関係にあることを身をもって体験したところです。
ついに、改悪されてしまった教育基本法と、その中の「愛国心」を、このような歴史の流れのコンテクストの中でとらえ、改悪教育基本法にもとづく「国家による国家のための教育」の具体化を、民主的で自覚的なたくさんの国民の力で、しっかりと阻止していく必要があるのではないでしょうか。
ここで話が変わり、私事になります。過日のNHKテレビの新日曜美術館で、松田権六さんのことが放送されましたが、その中で「一日一図案を描く」ということを松田権六さんが自分に課し,それずっと続けられていたことが紹介されていました。soroはその「持続する志」に驚いてしまいました。
ところでsoroはいま「春芸展」の準備の一環として、スプーン付きシュガーポットを、毎日1~2個ずつ挽きながら、最終的には21個を完成させようとしているのですが、昨日は、気が向かず、1個も挽くことができませんでした。(v_v)
そしてあらためて松田権六さんの「一日一図案」の継続的実践の凄さと、soroの「持続する志」のなさに落胆しているところです。なお写真は、すでに木取りしてあるシュガーポットの素材のタモです。