8月上旬に、享年90歳であの世へと旅立った叔父の49日の法要が、今日、午前11時から、叔父の家の菩提寺の宗福寺(坂戸市石井下宿のお寺)でおこなわれました。
現役のころのsoroは、坂戸市の職場までの片道22kmの道を、毎日ランドナーに乗って通勤していたのですが、今日の忌明けの法要には、ランドナーではなく、「東武東上線」に乗って行ってきました。久しぶりに乗った「東武東上線」の電車は、いままで乗っていた車両とは異なり、とても乗り心地のいい新しい車両でした。
ここで話が少し変わります。
soroやワイフや娘が、都内に行くとき利用する「東武東上線」は、もともとは、川越新河岸の舟運の船問屋福田屋の当主、星野仙蔵が計画した「京越鉄道」(東京~川越間)がはじまりでした。
そして、その計画を継承した「東上鉄道」(1911年設立、本社が川越)が計画した路線が「東上線」だったのでした。「東上線」という名称の「東」は東京で、「上」は上州渋川(一説によると信州上田)を意味していたのだといわれています。
しかし、その後、1920年、「東上鉄道」が、根津 嘉一郎の「東武鉄道」と対等合併してからは、「東上線」は、「(東武)東上線」となりました。しかし、「東上」という名称は残ったものの、
寄居以遠の延伸計画は中止されてしまい、その後、上州渋川までの路線延長の気配すらなくなってしまいました。
法要が終わって帰路についたsoroは、「東武東上線」の車中で、そんな「東武東上線」の歴史を思い出しながら、夜空が綺麗で水の美味しい奥武蔵、外秩父地方に、都内から移り住む方々が増えているという状況の中で、東武鉄道が、全線の複線化と、快適な新車両の導入をもっと積極的に進めてくれればいいのになあと思ったりしていました。