今日(5月3日)は「憲法記念日」です。午前中、東秩父村皆谷までの往復31.5kmサイクリングをした私は、午後「しんぶん赤旗」の、(「初心生かし壊憲阻むことこそ」というタイトルの)「主張」を読み、深く同感しました。そこには次のように記されていました。
『戦後70年の憲法記念日を迎えました。日本国憲法は、アジア・太平洋戦争での日本の敗戦から約2年後の1947年5月3日に施行されました。侵略戦争を反省し、国民主権、恒久平和、基本的人権の尊重などを原則にした憲法は、戦後70年、憲法施行から68年のいま、その解釈を踏みにじる解釈改憲でも、条文そのものを変えてしまう明文改憲でも、かつてない“憲法破壊”の攻撃にさらされています。日本を「海外で戦争する国」に変えてしまう“壊憲”の企てを、憲法の初心に立ち返り、力を合わせて阻止することが求められます。
正しいことを先立って
「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました」「みなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです」。68年前の憲法施行の直後、当時の文部省が教科書として配布した『あたらしい憲法のはなし』の一節です。
その2年前まで日本が繰り広げた侵略戦争で日本国民とアジア諸国民に甚大な被害を与えたことを反省し、憲法は前文で「政府の責任によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」決意を明らかにしました。9条で戦争を放棄し、戦力は持たないと決めたことが、『憲法のはなし』でいう「二つのこと」です。
戦後70年、日本はこの憲法の下で自ら戦争を起こしたことはありません。朝鮮戦争で機雷掃海に駆り出された日本人の戦死や、アメリカの戦争に協力しイラクに派兵された自衛隊員の帰国後の自殺などはありましたが、日本の自衛隊として一人の戦死者も相手国の犠牲者も出していません。憲法の平和原則が支えとなり、日本への国際的信頼を広げてきたのです。
いま安倍晋三政権が進める、「集団的自衛権行使」の憲法解釈を変更し、アメリカが起こすどんな戦争にも自衛隊が参加する「戦争立法」の企ては、憲法前文と9条の平和原則を乱暴に踏みにじるものです。憲法記念日を前に安倍政権はアメリカと戦争で協力する新「ガイドライン」で合意し、まだ国会にも提出されていない「戦争立法」の成立を約束しました。憲法の平和原則はもちろん、主権と民主主義を破壊するものです。
安倍政権が進める、沖縄県民の「島ぐるみ」の反対を押し切った米軍新基地建設や原発の再稼働、消費税増税や労働法制の改悪など暮らし破壊の数々の暴走も、憲法を破壊するものです。安倍政権と自民党は憲法そのものの明文改憲にも乗りだし、改憲案をまとめようとしています。いままさに憲法破壊政治との対決の正念場です。
国民がしっかり守り抜く
「この憲法は、みなさんのつくったものです」「みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」。『あたらしい憲法のはなし』はこうも指摘しています。
改憲派は憲法を押し付けられたものだといいますが、戦後70年、国民が改憲なしで、なんの不都合も感じなかったことが、憲法の国民への定着を証明しています。
戦後70年を「改憲の年」にするのは許されません。平和といのち、人権を守り抜くために、この憲法を守り生かしていく決意を新たにしようではありませんか。』
この「主張」を読んで、「あたらしい憲法のはなし」(旧文部省発行)というテキストの「六 戦争の放棄」の中に『...そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、決して戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国を滅ぼすようなはめになるからです。また、戦争とまではゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。』と記されていたことを思い出しました。
当時小川新制中学校の1年生だった私は、この部分を深く感動しながら読んだ記憶があります。なお、イラストは「あたらしい憲法のはなし」に出ていたものをシェアしました。