昨日は、弟や妹の家族や息子の家族が、我が家の離れにある先祖の仏壇に、お線香をあげに来てくれました。先祖の霊もさぞかし喜んでくれたことでしょう。
ところで、いまから69年前の今日は、アジア・太平洋戦争に「大日本帝国」が敗れた日です。今年も私は、山中恒さんが「ボクラ少国民」の中で、1945年の今日のことを、次のように語っていたことを、思い出しています。
『そのとき私たちは大日本帝国の少国民として敗れ、更に信頼していたおとなの裏切りに敗れ、二重に敗れた。けれども、おとなたちは敗れなかったように思う。かれらは「敗戦」を「終戦」と称し、「占領軍」を「進駐軍」とよんで、すばやく民主主義者になってしまった。おとなたちにとっては、「敗戦」は「終戦」と言抜けられる程度の、永い人生の中の極く些細な出来事だったのかもしれなかった。けれども私たち子どもにとって敗戦はすべてだった。この世に生を受けたとき満州事変とよばれる戦争が始まり、私たちは学校で、天皇陛下の御為に死ぬこと、ただそのことだけを学んだ。学ぶという形をとった厳しい錬成鍛錬だった。敗戦したことと天皇陛下の御為に死ねなかったことで、私たちの受けた教育はすべてご破算になり、意味のないものにものになってしまった。』