「週刊金曜日」7/19 952号の特集は、「空洞化する国民国家」で、中野晃一上智大学教授独占インタビュー「焼け太る日本の『保守』」と村上朝子氏の「『正しい一票』を投じられるのはどんなひとですか」でしたが、私はいま、広瀬 純氏の連載記事「自由と創造のためのレッスン」の中の「怒りか 恥辱か」というタイトルではじまる記事を読んでいます。広瀬氏はこの記事の最後のところで、次のように語っていました。
『来るべき参院選について「愚か者」とは具体的に誰のことか。自民党を結節点として形成された国家+資本に棲息する連中だけが「愚か者」なのではない。「愚か者」とは、おのれの利害に反して自民党やその類似物(民主党、みんなの党、維新の会など)に投票してしまう者たちのことでもある。周知の通り、アベノミクスは「デフレ脱却」「消費税増税」「社会保障を聖域としない改革」などによって、貧者から吸い上げたカネを富者に再分配するプログラムである。「愚か者」とは、貧者から富を簒奪することで私腹を肥やそうとする富者だけでなく、そうした富者の利益を代表する自民党や同類政党におのれの利害に反して投票しまうであろうあの多くの貧者ことでもあるのだ。ドゥルーズが言っているのは、そうした「愚か者」を眼前にして「怒り」ではなく、あるいはそれだけではなく、「恥辱」を感じなければならないということであり、そのときにこそ我々は何か絶対的に新たな可能性を見出せるはずだ。この世界における「可能性」とはそうしたもののことであって、それ以外ではないということなのである。今回の参院選では、貧者の利益を代表する政党が得票をのばすだろうといわれている。そこに「希望」を見出すことは容易い。しかし、問題は自民党圧勝に「絶望」できるかとうかなのだ。』