「週刊金曜日」 943号(先週号)に、片岡伸行氏の『自衛隊とサリン 第1回 「私は自衛隊で毒ガス・サリンの製造に関わっていた」元自衛官が「内部文書」元に証言 』というスクープ記事が掲載されていました。
その記事の前書きは『世界を揺るがした地下鉄サリン事件より数十年も前から、陸上自衛隊がサリンの製造をしていたことが複数の資料と証言で明らかになった。サリンだけではない。VX、タブンといった猛毒の殺人ガスも.....。非核三原則と同様、日本政府は毒ガスについても「持たず、作らず、持ち込ませず」などと表明していたが、自衛隊によるサリン製造が事実なら、毒ガスをめぐる戦後の歴史が塗り替えられる可能性がある。陸自・化学学校に所属していたという元自衛官の証言から連載を始める』というものでした。
『「私は埼玉県にある陸上自衛隊化学学校でサリンなどの毒ガスの製造に関わっていました。1970年代のことです」東京都内のある喫茶店の一角で「元自衛官」と名乗る60代の男性は、そう切り出した。白髪まじりの短髪、口調は柔らかだ 』という語りからはじまるこの記事によれば、
2000年11月9日、第250回国会の参議院で、井上美代議員、緒方靖夫議員、阿部幸代議員、畑野君枝議員らが「埼玉県大宮市にある陸上自衛隊化学学校は、これまで核・生物・化学兵器対処研究とのかかわりで、どのようなことを行ってきたのか、(略)明らかにされたい」という質問主意書を提出したのに対し、同年12月1日付けで、森喜朗総理大臣(当時)が、「陸上自衛隊化学学校においては、これまでNBC兵器が使用された場合の、偵察、防護及び除染を行うため化学防護、化学技術等に関する研究を行ってきた。今後、同学校においては、(略)引き続き、かかる研究を行っていく予定である」という、サリン製造をにおわせる回答があったとのことです。
ところで、片岡伸行氏は、この森喜朗総理大臣(当時)の回答と関わって『きわめて具体性を欠いた答弁であるが、「核・生物・化学兵器対処関連事業」1999年度2億9000万円、2000年度には、24億3600万円余とゼロが一つ増え、2013年度は、さらにその三倍の71億8200万円の予算がついている。通算すれば巨額な税金が投入されているものの、その活動内容は以上のとおり抽象的な域を出ない』と記しています。
この記事は連載記事なので、1993年に化学兵器禁止条約を批准し、1995年に化学兵器禁止法を制定した日本で、いままで何が行われていたのか、そしていま何が行われているのかを、次号以降のスクープ記事を注意深く読んで、詳しく知りたいものだと思っているところです。