昨日からはじめた貝塚伊吹の剪定が、今日の午後ようやく終わりました。去年の暮れのときと比べてエージングがだいぶ進んだsoroは、ふだんあまり使わない筋肉を使ったということもあって、かなり疲れました。そして、予定していたブナの剪定は中止し、明日午前中行うことにしました。
ここで話は変わります。「『なし崩し』という言葉は、本来は『済し崩し』で、金を少しずつ返済するという意味だ。転じて物事を少しずつ堅実に片付けることを意味するが、既成事実を重ね骨抜きという負のイメージで用いられることが多い」という言葉ではじまる、昨日の東京新聞の「筆洗」には、「時代とともに、言葉の使用法も変わる。後者の意味がぴったりくるのは、民主党政権の政策転換だ。政権交代から三人目となる野田佳彦首相の就任後、ろくな論議もないままに、既成事実化される感がますます強まったように思える。『コンクリートから人へ』のスローガンの下、マニフェストにもなかった『中止』とはっきり書いた八ッ場ダムは、旧建設省出身の大臣が建設再開を決めた。マニフェストになかった消費増税も、あたかも既定路線のように党内論議が進む。なし崩しの典型が武器輸出三原則の緩和だろう。...政権は平和国家の看板を一つ捨てた。年末まで精力的な外交日程をこなす野田首相はインドに旅立った。インド独立の父ガンジーの慰霊碑には、彼が心に秘めた七つの『社会的罪』が刻まれている。労働なき富、良心なき快楽、人格なき学識、道徳なき商業、人間性なき科学、献身なき信仰...最初に書かれている罪は、理念なき政治である。」と出ていました。
また同じ昨日の東京新聞の論壇時評で金子 勝氏は「不良債権処理問題、イラク戦争、小泉『構造改革』、原発事故と、これだけ大きな失敗か続いているにもかかわらず、失敗の総括が一切なく誰一人として責任をとっていない、民主党政権の政策が自民党に似てきて、政権交代の意味が失われ、二大政党制が機能しなくなっている。そして知識人たちは『たこ壷化』して批判的言説は後退し、人々は強いリーダーシップを求め、ポピュリズムとバッシングの政治が横行してしまう。」と語っていました。(v_v)