「週刊金曜日」8/5 8/12合併号の特集は、「原爆と原発 怒りの表現者たち」でした。
その特集の中の『中沢啓二「はだしのゲンが見たヒロシマ」 聞き手 中村富美子』で、中沢氏が「お袋が死んだときも(私が)東京から駆けつけると、家の中が妙な雰囲気で、どうしたんだと聞くと、さっきABCC(原爆傷害調査委員会)が(広島での原爆被爆者の)お袋の内臓をくれと言って来たと。きれいに縫合して返すから内臓くれって。次男が怒って『何言うか!』って追い返したけど。いまだにお袋を追い続けてるのかと腹立ってねぇ。やっぱり貴重なんですねぇ、生き残った人間が。今もやっているでしょ。」という言葉を受けて、聞き手の中村氏が「ABCCはその後、日米共同出資・運営の放射線影響研究所になりますよね。理事長の重松逸造はイタイイタイ病、スモン(病)、水俣病などの公害調査に関わり、国や企業の責任回避に貢献。IAEA(国際原子力機関)のチェルノブイリ事故調査も指揮して安全宣言を行い、『放射能汚染より放射能恐怖症が問題だ』と言い放った。弟子の長滝重信、その弟子の山下俊一もチェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトに参画し、放射能被害を過小評価する報告を出している。その山下俊一は(福島第一)原発事故直後に福島県の放射線リスク管理アドバイザーになり、県民に「放射能恐怖症こそ危ない」と講演して回り、ついには福島県民全員を三十年にわたり追跡調査する県民健康管理調査検討委員会の座長となった。ABCC、放射線影響研究所に貫かれる核戦略のデーター作りという政治的意図が、フクシマにつながる構図が見えてきます」と指摘していました。
これを受けて中沢氏が「続いているんだね。放射線影響研究所なんて対外的に名前を名前を変えても、元はABCCの本拠だから。」と語っていましたが、soroもそう思った次第です。