アマゾン・コムに注文しておいた「世界」7月号が昨日の午後、宅配されました。soroはこの号の「近い将来への『証言』を求める」という大江健三郎氏の記事から読みはじめました。
この記事は、「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判(元沖縄戦指揮官および遺族が、大江健三郎・岩波書店を、名誉毀損で訴えた裁判)で、第一審の大阪地裁が、2008年3月28日に、本件各書籍の発行時に大江健三郎等は(指揮官が命令をしたことを)真実と信じる相当の理由があったと言えるとして、名誉棄損の成立を否定し、原告の請求を棄却したのに対して、原告側はその判決を不服として大阪高裁に控訴したが、大阪高裁も2008年10月31日に地裁判決を支持して控訴を棄却した。そこで原告側はただちに最高裁に上告したが、2011年4月21日、最高裁第一小法廷は上告を棄却、原告側の敗訴と大江側の勝訴が確定した」(以上「Wikipedia」)ことと関わって、大江健三郎氏ご自身が記されたものです。
soroは、大江氏の「沖縄ノート」などをめぐる裁判で、大江氏側の勝訴が確定したことを喜ぶと同時に、大江氏がこの記事の最後の部分に、次のように語られていることに深く感動し、自分の残り少ない人生を、絶望を乗り超えて生きていくための、とても大きな力をいただいたような感じがしてきたのでした。v(^^)v
それは「起こってしまったことへの証言がいかに重要であるかは裁判で身にしみて学びました。近い将来への現場からの証言は、その悲惨を起こらぬようにするために有効あるかも知れぬという望みを与えます。それが(「沖縄ノート」を)書き始めた当初から「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という嘆き節の繰り返しと嘲られもしながら、まだ壮年であった私が、この本(「沖縄ノート」)と「ヒロシマ・ノート」とを自分の仕事の根幹においた理由でした。すでに老年になっていながらこの本を守る裁判を正面から引き受けた理由でもありました。」という言葉からはじまり、
「いまこの大きい危機にあって、日本人がいかにフクシマを乗り超え、その経験に立って、原発と共にでしかありえない、という固定観念から、原発と共にはありえない、という新しい信条に出て行こうとする、将来に向けての証言を集める仕事はもう始まっています。私はそれが若い人たちの仕事へのつなぎとしてであれ、基地と共にはありえないという証言を集めるのを目指しています」と結ばれている、まるでラディカルな青年のような言葉でした。(^^)/