今日は、1945年の日本の「敗戦」から数えて65回目の「敗戦の日」です。
元少国民のsoroは今年も、「ボクラ少国民」の中の 『そのとき私たちは大日本帝国の少国民として敗れ、さらに信頼していたおとなの裏切りに破れ、二重に敗れた。けれどおとなたちは敗れなかったと思う。彼らは「敗戦」を「終戦」と称し、「占領軍」を「進駐軍」とよんで、素早く民主主義者になってしまった。大人たちにとっては、「敗戦」は「終戦」と言抜けられる程度の極く些細な出来事なのかもしれなかった。けれど私たち子どもにとっては「敗戦」はすべてだった』という山中 恒さんの言葉を思い出しています。
ところで、今日の「東京新聞」の「社説」と「筆洗」、「しんぶん赤旗」の「潮流」の中には、「終戦」ではなく「敗戦」という言葉も使われている部分がありました。とても珍しいことです。